「1+1≧2」


友達が一人暮らしを始めたという。実家から通勤し始めて8年、いよいよ独立。
引っ越し祝いを兼ねて、私は彼女の新居にお邪魔することにした。
都心まで通勤時間20分ほど、駅から徒歩15分を我慢すれば、申し分のない立地である。
久しぶりに会った彼女はほがらかな笑顔で、待ち合わせた駅の改札口で私を迎えてくれた。

「ごめんねー、待った?」
「ううん、今来たとこ。ギリギリまで片付けてたから」
「もうだいたい片付いたの?」
「まぁね。まだ開いてないダンボールが一つだけあるけど」
懐かしい笑い声を聴きながら、彼女と家までの道を歩いた。
緑が濃くなり始めた公園沿いは、空気が浄化されているかのように
清々しい。
この辺りはまだまだ自然がたくさん残っており、夏には蜩(ひぐらし)の
鳴き声が聴こえることもたまにあるらしい。
そのことを不動産屋さんから聴き、部屋を見て即断即決したのだそうだ。

「また、不動産屋さんが親切ないい人でねー」
彼女はうれしそうに言う。
「ここ、うちの店イチオシの物件なんですわー!なんて、関西弁に乗せられちゃった
 とこもあるけど」
「オイオイ?そんなんで決めてええんか?」
私も笑いながら関西弁で返した。     
おしゃべりに花が咲くと、時間の経過は思いのほか早く、いつの間にか彼女のお城に
たどり着いていたようだ。
「ここだよ」と彼女が指さした先には、まだ築年数もさほど経っていないのだろう、
小ぢんまりとしているが瀟洒な外観のマンションが建っていた。

「うわぁー、いい雰囲気のとこだねー?」
「なにしろ”うちの店イチオシ”だからね?」

オートロックのエントランスを抜け、エレベーターで3階まで上がる。
ここは低層マンションで3階までしかなく、したがって彼女の部屋は最上階になる。
いちばん奥の305だ。

ドアを開けると、リフォームしたてらしいどことなく新しい匂いがする。
「どうぞ」
「おじゃましまーす!」

玄関を入ると、リビングに続くのであろうドアが真正面に見える。
フローリングの床は白木に近いくらい明るく、玄関まわりの造作家具も白を基調にしており、
狭くなりがちな廊下を広々と感じさせている。
「いいよねー、新居って」
「何言ってんのよ?あさぎの家なんて、うちの1LDKとは段違い!
 3LDKでしょうがー?!」
「実質2人だからね」
「そのうちに、彼が新居を建ててくれるんじゃないの?」
「・・・うん・・・まぁ・・ね・・・」
私はほんの少し言葉を濁した。


「まぁ、そこに座ってくつろいでてよ?」
彼女は、リビングの端にあるナチュラルな色合いのソファをすすめてくれる。
「これ、もしかしてインテリアギャラリーの?」
「さすがー!よくわかるねー?」
「この前、ちょっとうちの店のコーディネートで見に行ったの」
「あさぎはインテリアのプロだし、彼氏は一級建築士だし、そのまま二人で会社でも
 始めたらどう?」
「え?そんなに上手く行かないわよ、このご時世だし・・・」
デザインの専門学校を卒業して、インテリア雑貨店勤務。
6年目の25歳でようやく店長になって、どうにかこうにか店を存続させてきた。
とは言っても雇われ店長の身、フランチャイズ店だし、ノルマもきつい。
バイヤー兼インテリアコーディネーター、というか基本的になんでもこなさなければ
ならない。
最近はインテリア雑貨のオリジナルデザインも手がけるようになった。
でも・・今年30歳を迎えて、このままでいいのかな?とも思う。
自分自身のお店を持てたらいいな・・・そんなふうに思い始めていた。

彼は、建築デザイン事務所勤務の一級建築士。37歳。
私が言うのもなんだが、頑張り屋で、デザイン会社に勤務しながら専門学校に通い、
設計を学んだバイタリティーの持ち主だ。
そんな彼とはデザイン学校時代からの付き合いで、もう10年以上になる。
私の考えていたことを読んだかのように、キッチンにいる彼女が口を開く。
「彼とはもう何年?」
「10年ちょっとになるよ。一緒に暮らし始めたのは、ここ2年ばかりだけど」
「結婚は・・しないの?」
言いづらそうではあるが、ティーポットにお湯を注ぎながら、彼女はしっかりと聞いてきた。
私も口ごもることなく答える。
「結婚はしたくないの。一緒にいたいと思うだけでかまわない。
彼もそれを望んでる」
「そう・・・」

一瞬苦笑いをしたように見えた彼女、もしかしたらこう言いたかったのかもしれない。
『それであさぎは幸せなの?彼は逃げてるだけじゃない』
昔から彼女はしっかりしていた。
同じ高校で多感な時期を過ごしたけれど、こうも中身が違う友達もめずらしい。
だから合うのだろうか?
物事をきっちり考える彼女は、自分の思い描いた通り外資系商社に就職した。
最近では海外出張もざらで、世界を相手にして仕事しているキャリアの持ち主。

対して私は、夢見がちな人間でどこか浮世離れしたことを言っていた。
実際、専門学校に進むことだって、間際になってから決めたようなもの。
しかも漠然と「好きなインテリアを仕事にしたい」と思っていただけだった。
そんな時、仕事をしながら専門学校に通っている彼と出逢って、その真剣な態度に
圧倒され、触発され、現在の私がここに出来上がった。


彼に出逢わなかったら、私はいったいどうなっていただろう?
「ふだん一緒にいると忘れちゃうのよね。結婚している友達がよく言うじゃない?
 一緒にいるのが当たり前になっちゃって、ありがたみなんかなくなっちゃってる、って」
私のボヤくような口調を聴きながら、ティーカップとお皿をリビングテーブルに置く彼女。
おみやげに持ってきたBitterSweetGardenのケーキを取り分けつつ、私は続けて言う。
「・・・だからこそ私は、彼とほんの少しだけ距離を置きたいの」
「そっか・・・」
彼女はちょっと無口になり、どこか遠くを見つめるような目をした。
この歳だもの、お互いに忘れられない想い出の一つや二つある。
私も、彼と出逢った時のことを思い出していた。
私があの専門学校の廊下で、すれ違いざま画材のパステルをばらまかなければ、
彼が拾うこともなかっただろう。
すべてのできごとは偶然の重なり合いにすぎない。けれど、そこにはどこか必然も
存在していると信じたいと思う。

「これが彼と私の生き方だから」
そんなキザな言い方に、彼女は「あさぎらしいよね」と返し、二人で笑った。



               * * * * * * *
ふぅ・・・ようやく夏用のディスプレイが終わった。
一気にできるのは店を閉めてからだから、作業は深夜にまで及んでしまう。
やっとのことでたどり着いた我が家のソファに、私はどっかりと腰を下ろした。

「おかえり。今日は遅かったね」
彼が自分の部屋から出てきた。
「うん・・・ようやくインテリアも衣替え終了」
「それはそれは、お疲れさま!!」
「セイジも仕事持ち帰ってやってたの?」
「ああ、ちょっとね。なぁ、おなか空いてない?」
「うん・・・夕飯ちょこっとつまんだだけだから・・・」
「じゃ、俺がなんか作ろうか?」
「一杯やりますかぁ?」
私が重い腰を上げられるのは、こういう彼がいてくれるからなのだ。
二人でキッチンに立ち、時々つまみ食いをする幸せ。
時間を共有できることを、さりげなく感謝する気持ちをいつまでも忘れずにいたい。
「じゃ、乾杯!」
私が言うと
「え?何に乾杯?」
彼がたずねてくる。
「今日も一生懸命頑張ったことと、こうして会話できることに」
なんてセリフ、なぜか彼の前では言えてしまう。
「そうだな、感謝しよう」
彼も似たようなテンションな人だから、さらっと言えるんだろうな。
二人でカチンとワイングラスを合わせる。


1+1≧2。
これが、私が彼と一緒にいて導き出した公式。
なにものにも替えがたい幸せのひとときを感謝して、今夜も眠りにつこう。