「春一事務所より愛をこめて」
「じゃ、お先に!」
事務所のデスクの上を整理して、更科未結(さらしなみゆ)は新藤晴一に声をかけた。
「おお、未結ちゃん、今日は原稿の上がりが早いのぉ?」
晴一は伸びをしながらつぶやく。
「そりゃー、入ってそろそろ1年になりますからね」
「そうじゃったねー。でもその敬語、まだまだ直らんね?もっとこうフレンドリーに
 なんつーかこう、晴ちゃーんって肩を抱くくらいの・・・」
「はい、お先に失礼しまーす!所長さん☆」
晴一は未結の肩を抱こうとして、思いっきり肩透かしをくらった。
未結は事務所のドアを開け、さっさと帰ってゆく。

「ええ子なんじゃけど・・・硬いんだよなぁ・・・」
残念そうな顔をしながら、晴一はデスクに戻ったのだった。

ここは、藤崎市でタウン情報誌の制作を行っている、春山町一丁目事務所。通称・春一事務所だ。
晴一は、原稿書き兼編集長兼事務所長。晴一が所長だから春一事務所なのではない。念のために
言っておこう。
事務所員は未結の他2名。
主に取材・外部交渉担当の岡野昭仁と、写真担当の白玉雅己で構成されている、ごくごく小さな
事務所である。
他地区にも同じような事務所があり、武蔵野の数市をまとめて一つの”タウン誌・むさしの”が
出来上がるのだ。

晴一・昭仁・雅己の3人は、広島の高校からの付き合い。
卒業後しばらくしてから、それぞれの夢を胸に抱き、一緒に上京したのだった。
文章を書くことがこの上なく好きな晴一は、将来は小説家志望。
昭仁は、いつか役者になれたら・・・というほのかな夢を持っている。
雅己はカメラ一つで家出同然に上京。いつかは一流のカメラマンになるつもりでいる。
そうこう言いながら、もう8年の歳月がこの事務所で過ぎているのであるが・・・。


入れ違うように、昭仁が雅己と共に取材から帰ってきた。
「いやー、遅うなってしもたわ。店のおばちゃんにつかまってしもうて・・・」
「昭仁は熟女にモテるからのぅ〜?」
雅己が半分イヤミを込めて言う。
「肝心な年代にモテないのはどーゆーこっちゃっ!?!どうせワシはええ人で終わるんよのー・・・」
昭仁は苦笑いしながら、晴一に原稿を渡す。
「はい、晴一。これこないだの分ね。今日のは明日仕上げるから。じゃ!」
昭仁は座る間もなく帰り支度を始めた。
「なんじゃ、帰るんか?」
晴一が不満そうに突っ込みを入れると、
「新藤、久しぶりなんじゃから見逃してやれや〜?」
雅己がフォローに入る。
「仕事よりデートか・・・ええのぅぅぅっ!ワシも女の方がええっ!!」
「はいはい、新藤、わかったわかった。頼むからワシに当たらんでくれ」
泣きつく晴一を、雅己はよしよしとなだめながら言う。
「タマちゃぁぁぁんっ!今夜は男同士で飲み明かそっ!女としけ込む昭仁なん、ほっとこっ!!」
「ええーーーっ?!二人でかーっ?!オマエ、からむからいやじゃぁぁぁっ!!」
「酔うとしつこくなるんはタマの方じゃろがーーーーっ?!」


晴一と雅己がそんなやり取りをしている時、昭仁は待ち合わせた喫茶店に慌てて駆け込んでいた。
「ごめん、未結」
「そんなに急がなくても大丈夫なのに・・・ほら、汗・・・」
タオルのハンカチを取り出すと、昭仁の額を拭っている。
「サンキュー」
昭仁が微笑むと、未結もうれしそうに笑った。
「今日、ホンマにええの?」
「当たり前でしょ?昭仁にとって大事なことは私にとっても大事なことだもの」
「ありがとう」
二人はあるところに向かおうとしていた。



それは、未結が春一事務所に勤務し始めた一年前にさかのぼる。



「よろしくお願いします」
ペコリと頭を下げる未結に、晴一は
「じゃ、明日から頼むね。こちらこそどうぞよろしく」
と手をぎゅっと握りながら答えた。
「あ、あの・・・手・・・」
「え?あ、ごめん」
手を握ったまま離さない晴一に、未結はなんとなく晴一の性格を見た気がして、苦笑いしていた。

「ただいまー!」
「お、昭仁、ええとこに帰ってきた」
取材を終えて帰ってきた昭仁に、晴一が声をかける。
「こちら、明日から来てもらうことになった、更科未結さん」
「よろしくお願いします」
「あ、どうも。よろしくお願いしますー、岡野昭仁です!」
晴一と同じように手を握った。
(ここの事務所、挨拶ってみんなこれなのかもしれない)と未結が妙に納得した時、
「なーんて、晴一、こうして手を離さなかったじゃろ?」
昭仁はそう言って、茶目っ気いっぱいな顔で笑った。さすが、仲間の性格はよくわかっている。

そこへカメラを肩に下げ入ってくる男、雅己。
「昭仁、どうも最近カメラの調子が悪いわ。今日はこんくらいにして・・・」
「じゃ、ワシのカメラ使えばよかろー?」
「オマエのカメラ?ってオートフォーカスのアレか?!」
「ええじゃん、ないよりええじゃろ?ほら、行くぞ!じゃ、明日からよろしくね!!」
一度だけ未結の方を振り返って言うと、昭仁はすぐにドアを飛び出した。
「待てやー!」
雅己は晴一に紹介されるヒマもなく、再び昭仁の後を追って出て行った。

「お忙しいんですね・・・」
未結がつぶやくと、晴一がほんの少し切なそうな顔をして言う。
「あいつ、昭仁な、田舎の母ちゃんが亡くなったばっかりじゃっちゅーんに、仕事詰めよってさー。
 ま、それで自分を立て直しとるんじゃろーけど・・・」
「そうなんですか・・・」
未結は、慌てて出て行った昭仁の背中を思い返していた。


未結の仕事は、取材した内容を文章にする作業の補佐。繁忙期は昭仁や雅己と取材に同行して、
自身の取材力を養う。
未結は文章を書く作業も好きだが、いつかはデザインにたずさわってみたいと思っている。
面接の際、その意志は告げておいたので、現在のところ小さなイラストは描かせてもらっている。

今日も無事取材を終えた。
「ワシはこれから現像しに行くけね」
雅己はそう告げると、足早に歩き出した。
「タマ、お疲れー!未結ちゃんも今日はもうこれでええよ。お疲れさま。
 ワシは事務所にちょっと戻るけ」
「はい。お疲れさまでした」

(岡野さんはいつもきびきびしていて、見ていると気持ちがいい人だな・・・)
未結は思いながら、帰ってゆく昭仁をつい見送ってしまっていた。

駅前までたどり着いた時、未結はなぜかやたら明日のスケジュールが気になり始めた。
スケジュール帳を確認しようとしてカバンをさぐると・・・見当たらない。
どうやら事務所に忘れてきたようだ。慌てて来た道を戻る。
事務所のあるマンションの2階まで、いつも階段を駆け上る。エレベーターを待っていると
かえって遅くなることが多いからだ。フットワークの軽さも取材人には大切なこと。

事務所のドアを開けると、フロアのドアが半開きになっていた。
「エアコンの冷気が漏れ出してもったいない!」と晴一が嘆くから、ドアはきちんと閉めるように
しているはずなのに。
(きっと所長はもう帰っちゃっていないんだな)と未結は思いながら、中をそっと覗いた。
昭仁の背中が見える。
「岡・・・」
と未結が声をかけようとすると・・・昭仁の肩が小刻みに震えているのがわかった。
(岡野さん・・・泣いてる?)
未結は、見てはいけないものを見てしまった気がしてならなかった。
急いで身を翻そうとして、未結は思いっきりドアにぶつかり大音響を立ててしまった。

「・・・未結・・ちゃん?」
昭仁が振り返る。頬には明らかに涙の跡が・・・。
「ご、ごめんなさい・・・」
思わずうずくまっていた未結だったが、おずおずと立ち上がる。
「みっともないとこ見られてしもうたな」
「そんなことないです!」
昭仁の言葉に、間髪を入れずに未結は返した。

「いや・・わかっとるんよ、ちゃんと受けとめにゃいけんこと・・・。じゃけ・・・
 やっぱ自分を産んでくれた人が亡くなるっちゅーんは・・・なんでこんなにキツイんじゃろ?!」
昭仁は、いつもデスクの上に置いてある母親の写真のフォトスタンドを抱えたまま、
堪えきれずに目を潤ませている。
「・・・苦しいですよね、どうしたらいいのかわからないですよね?」
未結も遠くを見つめ、顔をしかめた。
「未結ちゃんも・・・?」
昭仁は未結の顔を見つめた。
「・・・私の父、蒸発したんです。私が産まれてまもなく。母はシングルマザー同然で
 私を育てて・・・結局母も私を置いて出て行きました。風の便りで父が死んだと知ったのは、
 母が出て行ってすぐ後のことで・・・」
「それはいくつの時だったの?」
「私が小学校4年生の時・・・。それから親戚の家に引き取られて、その家で育ったんです。
 だから子供心に、無理言っちゃいけない・・ってたえず思ってた。学校も就職先も、全部
 おじさんおばさんのすすめるまま。でも・・・本当は自分のしたいことを思いっきりしたかった。
 だから・・・家を出て仕事も変えようと思ったんです」
「そうじゃったんか・・・」
昭仁の視線に思わず目を伏せる未結。
「ワシはまだまだ甘っちょろいな・・・。ごめん」
「謝らないでください。私こそこんなヘンな話しちゃって・・ごめんなさい!」
顔を見合わせる二人。視線が絡み合い、不思議な感情が生まれる予感を、二人は感じずには
いられなかった。

「未結ちゃん・・・」
「はい・・・?」
「しばらくこうしててもええ?」
「!!」
昭仁は未結をそっと抱きしめた。いや、抱きしめたというより、昭仁が未結にすがっていたと
言った方が正しいかもしれない。
「は・・い・・・」
未結は静かに目を閉じ、つぶやくように答えた。
(こんな自分に何ができるのか、どんな力になれるのかもわからない。けれど一緒にいたい)
そんな感情が二人の間に生まれた瞬間だった。



あれから一年。
仕事の都合で盆休みには帰れなかった昭仁は、どうしてもしたかったのだ。
母親の一周忌を自分自身の手で。
昭仁と未結は、東京にある母の眠る菩提寺と同じ寺に向かっていた。
電車に乗っている間も、ずっと互いの手を離さずに。

境内にセミの声がけたたましく響いているが、陽射しはどこか夏の終わりが近いことを
知らせている。
寺の寺務所を訪れると、住職がにこやかに出迎え、二人を本堂まで案内してくれた。

おごそかに読経が始まる。
二人はそっと目をつぶり手を合わせた。
小さい頃聞いたお経は、どことなくユーモラスで聞くたび笑ってしまっていた昭仁だったと
いうのに、今聞くお経は、なぜこんなにも切なく胸に響いてくるのであろうか?

昭仁は、昨年の母の葬儀の時のことを思い出していた。
”今まで不摂生をして生きてきたけれど、もうそんなことはやめよう”
ヘビースモーカーだった昭仁が禁煙しようと決心したのは、やはり母の死が大きく影響していた
ようだ。
以来きっぱりとタバコはやめてしまったのだった。

焼香をする昭仁の背中を見つめながら、未結は想う、昭仁を。
(あなたは本当に強い人だね。つらいことを笑顔で覆い隠して・・・。いつも楽しそうに
 しているから、ただのお調子者なのかと思ってたの。あの日の背中を見るまでは・・・。
 ごめんね。私は何の力にもなれてないけれど、あなたのそばにいてもいいですか?)
ほら、と言うように、昭仁が目配せで焼香を促がす。
焼香をする未結の背中を見つめながら、昭仁も想う。
(これからどうなってくかわからんけども、こんな甲斐性もないワシじゃけど、ついてきて
 くれんかの・・・?)
うん、終わった、と言うように、未結も昭仁に目配せをする。

読経が終わり、住職は静かに口を開いた。
「このように明日をもつかめないような世の中ですが、こんな時こそ心の平静を保ちたい
 ものですね。私たちがこの世に存在しているのは、ご先祖様あってこそ。こうしてご供養
 なさる心がけはとてもすばらしいことです。岡野さんのお母様も、うれしく思われている
 ことでしょう」
「そう言っていただけると・・・僕も本当に心が救われます」
昭仁は目を潤ませながら言う。
「ここで母に伝えたいことがあるんです。ご住職も一緒に聞いてくださいますか?」
「はい、どうぞ」

昭仁は一つ大きく息を吸って、その言葉を口にした。
「僕は未結とこれからもずっと歩いていきたい。な、母ちゃん、ええじゃろ?」
「・・昭仁・・・」
「未結、結婚してくれんか?」
「昭仁!!・・・ありがとう・・・・・うれしい・・・!!」

住職は微笑ましく二人を見つめている。
さまざまな人生を見てきた住職と言えども、寺でプロポーズする男を目撃したことは
まずないのではないだろうか?
「人生山あり谷ありです。どうか末永くお幸せに・・・」
住職はひとつ微笑んで、静かに立って歩き出す。

「ありがとうございました」
深々とおじぎをして住職を見送った二人は・・・・・
互いの潤んだ瞳を見つめ合い、そして・・・・・唇を重ね合った。

薄暗くなり始めた外では、いまだセミの声が響き渡っている。

春一事務所から発信されるタウン情報の文章には、これからもきっと愛が溢れていることだろう。
二つの心に愛する気持ちが満たされている限り、これからもずっと・・・。